小説のお便り

日本国内で出版されている様々な小説たちを紹介するブログです

アンデルセン『絵のない絵本』

おかしなもの!胸が熱くじーんとしてくると、まるで手や口は金縛りにあったよう、胸のうちを描き表したり言い表したりできないもの。ところでわたしは絵かき、それをしてくれるのは目。それをよしとしてくれたのはみなさん、わたしのスケッチや画板をみてくれた人々。

わたしは貧乏書生、せせこましい路地の一つに侘住(わびず)まい。でも光には事欠かず。何しろ高みにあって、屋根という屋根を見下ろしているのだもの。この街にやってきた最初のころ、ほんとに息がつまりそうで寂しくて。森や緑の丘のうねりにかわって、空の果てまで灰色の煙突ばかり。友だちひとりなく、挨拶をしてくれる見知った顔ひとつなく。

 

 

絵のない絵本 (新潮文庫)

絵のない絵本 (新潮文庫)

 

 

 

この小説は、月が描く物語を書生が書き連ねたものという形式をとっている。遠く離れた、自分が関わることはないであろう人々の物語が、空には描かれている。それは色鮮やかな、今の私たちが見るテレビのようなものなのか、古代の人が星座を探したように何もないカンバスに描き出されたものなのか、もしくはそのどれでもないものなのか。それはよくわからない。わたしが読んだ限り、それは色鮮やかで精細なものだった。ただ、それが正しいのかもよくわからない。もしかしたら正しいものなどないのかもしれない。

この本をよんで、ひとつだけ思ったことがある。それは、空の遠さである。夜の空を見上げて星座を探す授業課題をやったことがある人は、たくさんいるはずだ。丸い紙を持ってそれと空を対照させながら星座を探す、その作業は多分新鮮なもので楽しくもあったと思うが、それ以降に空を意図して見上げたことがあるという人はほとんどいないだろう。太陽は家の窓から差し込んでくるし、雨が降っても見るのは手元にある傘だけ。そして私たちは、下を見ながら、地面にできた水たまりを避けながら歩く。決して雨が降ってくる空を見ることはない。生まれた月に従った星座というものが私たちには与えられるが、その星座を夜空から見つけ出せる人がどれほどいるだろうか。そもそも、星座を見つけられる人がどれほどいるだろうか。夜に空を見上げれば見える星を、私たちはプラネタリウムという作られれた存在でしか見ることがない。私たちにとって、空はもはや何よりも遠いものとなってしまったのだ。内容ももちろんいいが、それよりもむしろそのことに気づかせてくれるのが、この本の良さだと思う。空を見上げる時間も、そんな暇も今の人にはないかもしれない。一日に疲れ果て、電車に揺られて帰る毎日を送ることが、そこから生じるストレスを激しい余暇によって発散することが当たり前となった現代に、一見無駄とも思える空を見上げるという行動が入り込む余地はないかもしれない。ただ、そんな暇を一日くらい、作ってもいいかもしれない。無駄を楽しんだところで、誰に怒られるわけでもないのだ。晴れた夜の空を見上げて、そこにある些細な光や空間に空想を広げて見るきっかけを、この本はきっと与えてくれるだろう。